昭和48年(1973)10.23 | 東京神田の青少年問題研究会に岡本包治氏ら有志9名が集まり、 「日本余暇学会」として、発足。会長・岡本包治(かねじ)氏。 |
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昭和49年(1974) 2.4 | 第3回月例会。以後、ほぼ定期的に月例会を開催。 |
昭和50年(1975)11.10 | 旗揚げ出版なる。岡本包治監修・日本余暇学会編集 『新時代の余暇−その考え方と指導の方法』 (第一法規) |
昭和51年(1976)8.31 | 「日本余暇学会」紀要No.2発行。 |
昭和53年(1978)10.4-5 | 国際余暇研究会議に参加(組織委員会参与=岡本包治) |
昭和56年(1981)2.3 | 第62回の月例会を最後に長い休止状態となる。 |
日本余暇学会の活動は昭和56年を境に休止期間に入る。
最大の理由はその前年に「日本生涯教育学会」が設立され余暇学会の中核メンバーのほとんどが参画したことによる。生涯教育学会の設立メンバーには岡本会長はじめ、「本家」余暇学会の常連が名を連ねていたため、余暇学会活動には手が回らなくなり、自然休会となった。
こうして、わが「日本余暇学会」は長い眠りについたのである。
長い眠りからの目覚めは、昭和63年(1988)に日本レクリエーション協会が「レジャー・レクリエーション研究所」を設置したことから始まった。そこの主任研究員となった薗田碩哉氏が余暇学会再建の話し合いをコーディネートした。
平成2年(1990)4.18 | 「日本余暇学会の再起を図る会」を発足、この日第1回会合を開いた。 |
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平成3年(1991) | 日本レクリエーション協会が「余暇生活開発士」の養成開始。 余暇支援の実践家としての資格であったが、研究活動に熱心な メンバーが多く存在。このエネルギーが学会復活の原動力となった。 |
平成5年(1993) | 再生・日本余暇学会に向けて、会員の募集を開始した。 |
平成5年(1993)12.4 | 新たな会員を交えて、東京・高田馬場で「公開研究会」開催。 復活の第1歩となる。多くの余暇生活開発士も参加。 しかし、この後再び一時休止状態となる。 |
平成8年(1996)11.29 | 漸く、日本余暇学会は本格的に再起動。 この日、国立教育会館で再建第1回の定例研究会開催 瀬沼克彰氏が「新しい余暇と社会参加活動」と題する研究発表を行った。 以後、今日まで隔月に定例研究会、ニュースレターの発行が行われるようになった。 また、平成9年(1997)9月には第1回研究大会開催、平成10年(1998)3月に研究紀要「余暇学研究」第1号発刊。学会は軌道に乗った。 再建後の活動詳細は「活動報告」の頁に掲載。 |